守進
- pwannex
- 6月22日
- 読了時間: 4分
更新日:8月14日
文化祭を翌月に控えたある日の晩、守は進の部屋を訪れた。進が購入していた雑誌に興味を引かれる記事が載っていたため、一晩だけ貸してもらおうと考えたのだ。
「進、まだ起きてるか? 前に言っていた雑誌を借りたいんだが……」
「あっ、待ってください! いま動けなくて……部屋に入っていいので勝手に持っていってくれませんか?」
ドアをノックしながら訊ねると、室内から進の焦った声が聞こえてくる。おそらくはゲームをしていて手が離せないなどの理由だろうと考えた守は、特に疑問に思うこともなくドアを開けた。
「入るぞ、進……って、なっ……!?」
だが、守の目に入ってきたのは想定外の光景だった。進は見慣れた部屋着ではなく、薄緑色のメイド服――もとい、ウェイトレスの服を着ていたのだ。
膨らんだ袖は男性ならではの肩幅の広さをうまくごまかし、長めのスカートにも球児の逞しい太腿を隠すための配慮がなされている。捕手らしく下半身の筋肉が発達している進はそのぶん腰が細く見えるため、スカートの膨らみによる視覚的な効果も相俟ってキュッと引き締まったウエストを形成していた。
「なんて恰好をしてるんだ進!」
「あっ、あれ……? 兄さんはまだ聞いてませんでしたか? 今年のウェイトレスは僕がすることになったんですよ。それで衣装の試着をしていたんです」
進はエプロンの紐を蝶々結びにしながら答える。
今年のウェイトレス――という言葉だけを聞くとなんの意味かわからないところだが、守には嫌というほどその言葉に見覚えがあった。あかつき大附属高校野球部の伝統である「いちばんかっこいい一年生がウェイトレスをする喫茶店」という文化祭の催しものである。
どうやら、今年は進に白羽の矢が立ったらしい。
「――絶対にダメだ!」
いま初めてそれを聞かされた守は考える間もなく反対していた。
守が進に対して甘いという贔屓目を差し置いても、今年の新入部員の中では進がもっとも容姿に優れていると断言できる。
それはまあ当然だと思っているし、兄として誇らしくもあるのだが――進が人前で女装することに関しては猛反対だ。どう考えても可愛すぎるからである。
現に、目の前でウェイトレスの服を着ている進は性別などどうでもよくなるレベルの可愛さだ。誰が考案したのか、ヘアゴムにまでリボンがつけられているあたりに意匠への拘りもうかがえる。
こんな可愛い姿をした進がたくさんの他人に見られるだと……!?
守は考え得る限りの最悪の事態を想像して身震いをした。万が一、進が不埒な輩に襲われたらどうしてくれるのか。
そこまでの事態にはならなかったとしても、進がいやらしい目で見られるかもしれないと思うとそれだけで怒りが込み上げてくる。
「……兄さんはやっぱり反対ですか? 僕なんかが野球部伝統の役割を担うのは役者不足ですよね……」
「いや、そうじゃないんだ進。ボクはお前が心配なだけで……」
守の反対をそう捉えたらしく、進はしゅんと項垂れて落ちこんでしまった。そんな進を前にした守は慌ててフォローに回る。
大きな瞳を涙で潤ませる進は見る者の庇護欲をこれでもかと掻き立てるが、ここで進の可愛さに負けたら絶対に後悔することになるだろう。守は心を鬼にして進の説得にあたった。
「いいか進。お前はとても可愛いから、ウェイトレスの恰好なんてしたら不埒な輩が妙な気を起こすかもしれない。ボクはそれを心配しているんだ」
「兄さん、僕は男ですよ? それに、文化祭のときはほかの部員だって周りにいるんですから、そんなこと起こるはずがありません」
「男だから大丈夫だとか、そういう油断が命取りになるんだ。頼む、進。ボクのためにウェイトレスをやるのはやめてくれないか」
「そう言われましても、もう決まったことですし……」
守の必死の説得にも進は首を縦には振らない。律儀な進のことだ、一度引き受けた役割を途中で放り出すのは気が引けるのだろう。
「頼む、進……お前に不埒な輩が指一本でも触れるかと思うと、ボクは……お前はボクの大切な宝物なのに……」
守は進の肩に手を添えて滔々と説得を続ける。
そんな兄の様子に気圧されたのか、やがて進は小さくため息をついたのちに苦笑いを浮かべた。
「……わかりましたよ、兄さん。そんなに頼まれたら仕方ないですね」
進がやっと折れてくれたため、守はほっと安堵の溜息をついた。これで危惧していた事態は免れただろう。喫茶店の評判は下がるかもしれないが、そんなことは進の身の安全を前にすればどうでもいいことだ。
「『僕が』文化祭でウェイトレスをするのはやめます。でも、辞退するからには代役が必要ですよね?」
「代役?」
疑問符を浮かべる守に進はにっこりと微笑みかけた。
そして文化祭当日――野球部が取り仕切る喫茶店には、身長182cmのウェイトレスが仏頂面を浮かべて仁王立ちしていたという。