友進
- pwannex
- 8月13日
- 読了時間: 7分
更新日:8月14日
最後の一欠片となった白米を口に運び、「ごちそうさまでした」と告げて箸を置く。
ふと視線を感じて顔を上げると、向かいの席に座っていた進さんがニコニコと微笑んでいた。少食の進さんは俺より先に食事を終えており、食後のお茶を口に運びながら俺が食べ終えるのを待っていたらしい。
「友沢はいつも美味しそうに食べてくれるね。見ていて気持ちがいいな」
「進さんの手料理は本当に美味しいですから。……あ、俺も手伝いますよ」
席を立って食器を片付け始めた進さんと一緒に、食器を流し台に運んで後片付けをする。こうしているとまるで同棲しているような気分になり、自然と目元が和らぐのを感じた。
進さんが一人暮らしをしているマンションにお邪魔して、進さんの手料理をたらふく食べさせてもらって――それだけでも身に余る幸福ではあるのだが、ここまでくるとそれ以上も期待してしまう。
時計を確認すると自分が思っていた以上に時間が過ぎていて、そろそろ移動を始めなければ終電に間に合わなくなる頃合いだった。
名残惜しくて進さんの顔を見ると、進さんは俺を見上げてきょとりと瞬きをする。それから俺が時間を気にかけていることを察したのか、「ああ」と納得したようにつぶやいたあと「よかったら泊まっていく?」と提案した。
「いいんですか?」
思いもよらぬ――いや、素直に言うと多少は期待していた――進さんの提案に、下心を悟られないようにしつつ訊き反す。だめならそもそも提案しないだろうとは思うが、そうであっても遠慮する素振りは見せるのが礼儀というものだ。
「うん。……あ、でも泊まる用意をしてないか。下着や歯ブラシは近所のコンビニで買えるけど着替えがないよね。僕の服だと友沢には小さいだろうし……」
「予備のジャージを鞄に入れてあるのでそれを着ます。下着は……ちょっと買いに行ってきてもいいですか?」
「コンビニの場所わかるかな? 一緒に行こうか?」
「大丈夫です。進さんは先に風呂にでも入っていてください」
進さんが頷くのを見届けたあと鞄を持ってマンションを出る。記憶にある地図を辿って夜道を歩いていると、自分の鼓動が早くなっているのを嫌でも自覚してしまった。
進さんと交際を始めてから数ヶ月が経つが、恋人らしい触れ合いと言えば二人きりのときに体を寄せ合う程度で、まだ深い仲にまでは進展していなかった。
もっと先に進みたい気持ちはあるものの、進さんの中ではどこまでが許容範囲なのかわからないし、焦って進さんを傷つけることだけはしたくないしで、いつも二の足を踏んでしまう。
そうやって「今日こそは」……と思いながらも、言い出せずに終わるのが常だった。
しかし、今日は進さんのほうから泊まっていいと提案してくれた。ということは、もしかして多少はその気になってくれているのだろうか?
そんな淡い期待を抱きながらコンビニに入り下着や歯ブラシを購入する。ついでに飲み物もいくつか手に取り、進さんが好きそうな洋菓子も買っておくことにした。
慣れない店なので売り場がわからずにうろついていると、ふと視界に売り物の避妊具が映った。もしかしたら今夜――と連想してしまい、自然と顔が熱くなるのを感じる。
いやいや、まだ早い。という気持ちと、でも、もしかしたら進さんもその気で……という期待が頭の中で数十秒ほど駆け巡り、けっきょく避妊具もレジに持っていくことにした。
時間帯の影響か店内に従業員や客は少なく、セルフレジだったおかげで会計時も従業員とやりとりすることはなかった。
もし俺がカイザースの友沢であることに気づいている人がいたら、避妊具なんて購入しているところを見られたら変な噂が立ちそうだ。次からこういうのはネットショップで購入したほうがいいな。
そんなことを考えつつ、購入した品を袋に詰め込んでコンビニを後にした。
進さんの住んでいるマンションに戻り、玄関の前で深呼吸をしてからインターホンを鳴らす。しばらく待っているとドアが開き、パジャマに着替えた進さんが出迎えてくれた。
「おかえり、遅かったね」
シャワーを浴びてきたばかりの進さんの肌はまだしっとりと湿っており、下ろした髪からふわりとシャンプーの香りが漂ってくる。髪をほどいている進さんを見るのは初めてではないが、普段と違う姿を見られるのは自分だけの特権のようで嬉しくなった。
「慣れない店なので迷ってしまって……いま戻りました」
風呂上がりの進さんが「おかえり」と出迎えてくれるなんて、まるでここで一緒に住んでいるみたいだ。
幸せなひとときを密かに噛み締めながら、買ってきたばかりのコンビニの袋を進さんに差し出す。受け取った進さんは中に洋菓子が入っていることに気がついたらしく、「あ……」とつぶやいたあと「ありがとう。気を遣わせてごめんね」と笑顔を浮かべた。
「いえ。俺も食べるのでお裾分けです」
「そっか。じゃあ、お風呂が空いてるから友沢も入るといいよ」
「はい、ありがとうございます。先に食べていていいですからね」
進さんに促されるまま脱衣所に移動し、服を脱いで浴室に入る。浴槽には入浴剤を溶かしたお湯がなみなみと注がれていた。
進さんが入ったあとの湯船だと思うとやましい想像をしそうになり、雑念を振り払うようにシャワーを浴びる。それから頭や体を洗っているうちにだんだん冷静さを取り戻してきたので、シャワーを止めてやっと湯船に体を沈めた。
湯船に浸かってのんびりとしているうちに、風呂からあがったら進さんがベッドで待っているんじゃないか――などと、またもや不埒な考えが浮かんでくる。それを打ち払うように頭を振るが完全には払いきれず、顔の半分までを湯の中に沈めながらブクブクと息を吐いた。
風呂から上がってリビングに戻ると進さんはベッドに腰掛けていて、俺が買ってきたプリンを嬉しそうに頬張っていた。パジャマを着てスプーンを口に運ぶ進さんの姿は年上とは思えないほど可愛らしくて、知らず頬が緩んでしまう。
「お風呂ありがとうございました」
「うん。プリンもありがとう。おいしいね、これ」
「進さんの口に合ったならよかったです」
俺も何かを食べようかと思い、先ほど進さんに渡した袋に手を伸ばす。
テーブルの上に置いてあった袋にはチョコレートなどの洋菓子のほかに、つまみ用のスナック菓子も詰まっている。どれにしようかと中身を確認していたところで、ふと『あの箱』の存在を思い出した。
「あっ……!」
あまりの失態に思わず声が漏れる。
俺は進さんにこの袋を渡したとき、着替え用の下着だけを抜いてあとの中身はそのままにしていたのだ。つまり『あの箱』――避妊具は袋の中に置き去りにされていたのである。
「あ……それ、最初はチョコレートの箱かと思ったんだけど、その……違うよね……?」
硬直する俺を見て進さんが遠慮がちに口を開く。
これが何かわからない進さんではないだろう。俺は何も言えなくなってしまい、口をパクパクと開閉させたあとでやっと言い訳を始めた。
「これは、その……もしものときのためにと思って……」
「もしものときって?」
あやふやな言い分に進さんは首を傾げる。
俺は恥ずかしさのあまり何も答えられずに俯くしかなかった。そんな俺がおかしかったのか、しばらくすると進さんがクスクスと小さく笑い始める。
「ごめんね。意地悪だったかな」
「え?」
進さんの悪戯っぽい言葉に俺は俯いていた顔を上げた。進さんは手にしていたプリンの容器とスプーンをテーブルに置き、両手を所在なさげに擦り合わせたり握ったりしている。
「……僕は、友沢を僕の家に招いたあたりから……ちょっと、期待してたよ」
「えっ……!?」
視線を逸らしながらつぶやく進さんを思わず二度見してしまう。都合のいい夢を見ているんじゃないかと一瞬疑ったが、目の前にある進さんのはにかんだ笑顔は確かに現実だった。
「……もしかして友沢も同じ気持ちだったのかなと思ったら嬉しくなっちゃって……」
進さんは頬をほんのりと赤く染めながらぽつりぽつりと胸の内を明かす。
それってつまり――そういうことだよな?
期待に胸を膨らませながら隣に腰掛けると、進さんの手が俺の手に触れた。顔を上げればすぐ目の前に進さんの綺麗な瞳があって、視線が合うとそれが合図のように目が伏せられる。
唇を重ねると進さんの吐息を肌に感じられて、その温かさに酔いしれながら目を閉じた。